たまいろ日記

BL感想ブログ

「美しい彼」原作とドラマの違い考察-平良編-(水掛けシーンの違和感?)

※この記事は下の動画の内容とほぼ同じです。

※ネタバレ注意!!

「美しい彼」の原作を読んだ後にドラマを見てみると、違いがいっぱいあって「あぁ、尺の都合かな」とか「地上波だとこれが限界か」とか、いろいろと発見や考察のしがいがあって面白いですね。

まず、ドラマ第1話の初っ端から設定がかなり違う。

学年…原作は高二、ドラマは高三。

実家…原作はちょっと過保護な両親と共に暮らしてるけど、ドラマは一人暮らし。

新学年初日…新しい学年で初めてのクラス。
ドラマでは清居が遅刻してきたおかげで吃音症の平良が助けられた形になってたけど、原作の清居は遅刻とかしてないし、平良を助けてもいない(笑)

あと他にもいろいろと変更点はある。

原作の清居はあんなジンジャーエール厨じゃないし、清居がダンススクール通ってることを平良が知るのは原作だと夏休み明けだけど、ドラマだとだいぶ初期で、夏休み前。

その後の、2人きりで自転車で買い出しに行ったり、指舐めシーン、学校での追いかけっこは全部ドラマオリジナル。

でも、「ここ!」っていう原作の見せ場は、ドラマでもきちんと再現してくれていたおかげで、原作ファンも納得できるような出来だったと思う。

 

 

ドラマ版の違和感、「あれ?」と思った水掛けシーン

他のドラマオリジナル場面はそこまで違和感を抱かなかったけど、水掛けシーンだけはどうしても違和感しかなかった。

自転車を二人乗りした罰として学校に呼び出され掃除をする羽目になった2人が

仲睦まじくキャッキャウフフするという、原作にはない大変エモいシーン。

ただ、清居を“キング”だと崇拝しまくってる平良が、清居に対して安易に水なんか掛けられるだろうか?

平良の思考で言うと、自分と清居の関係はキングと下僕のような関係。

清居から水をかけられて、「清居から掛けてもらった水だ!ありがとうございます!(?)」と喜んで水を掛けられ続ける(キモ…)とかだったら分かるけど

下僕である自分から、キングの清居に水をかけるなんて恐れ多いことはしないと思うんですよね。

 

 

原作版・平良とドラマ版・平良の違い

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ここで原作版・平良とドラマ版・平良の違いについて考えてみる。

原作とドラマを比べてみると、個人的な感想だけど、

間違いなく原作版の平良の方がキモい。断然キモい。

原作版の平良は、キモくて暗くてジメジメしている。

それに対してドラマ版の平良は、キモいけど図々しくてカラッとしている。

よくよく考えてみればドラマ版の平良は、まだそこまで関係が深まっていないのに

清居の写真を勝手に撮ったり、その写真でオ○ニーしたり(原作は自分で撮った写真ではなく、雑誌に載った安っぽいアイドルスマイルの清居でしてた)、深夜の高校に清居を呼び出したり…

原作版の平良じゃ恐れ多くて絶対にできないことを、ドラマ版の平良は平然とやってのけてた。

つまり、清居を宗教のように崇め奉ってる割に、実は無自覚に図々しいところがある、というのがドラマ版の平良。

ここが、原作版の平良と決定的に違うところ。

だから、原作版の平良だと絶対に清居に水を掛けられないけど、ドラマ版の平良だと平気でやり返せるのだ。

 

 

なぜ変更したのか

では、なぜドラマ版ではカラッとした平良に変更されたのか?

①視聴者が受け入れやすくするため

考えられる1つ目は、視聴者が受け入れやすくするため。

原作の小説は「BL小説」というジャンルで、最初からBLを読みたいという人がわざわざ買って読むもの。

しかし地上波放送のドラマでは、BLファンはもちろんだけど、BLを知らない・全く見たことない人だって目にする可能性が高い。

BL初心者の人にとって、自分をいじめてる相手に恋をする平良の思考を理解できるはずがないので

原作のキモさは残しつつも視聴者が感情移入しやすいようにしたのが、ドラマ版の平良なのではないかと思う。

思えば、原作にあった平良が写真加工ソフトで人物を消すくだりや、「コイツに自殺されたら勘弁だし」みたいな惨い台詞もカットされている。

これらのカットは、小説ならまだしも実写でやるとかなり残酷で痛々しい印象になってしまい、「恋愛ドラマ」の軸がブレてしまうから、それを避けるためかな?、と思った。(尺の都合もあるだろうけど)

②対比の強調

第1話

そして2つ目は、対比の強調。

この“2人きりの夢のような時間”は、その後に訪れる2人の別れとの対比を強調させるためだったのではないか?と思った。

平良は、実は原作よりもドラマの方が良い思いをしている。

自転車で清居と自転車で2人乗りしたり、水掛けキャッキャウフフした後、家で2人きり(しかも彼シャツ!)で花火。

充実しまくりのキラキラ青春を満喫している。

これも全部ドラマオリジナルで、原作にはない。

原作版の平良だと恐れ多すぎて卒倒しそうなくらい、ドラマ版の平良はものすごく美味しい思いをしているのだ。

これは、平良の「夢のような絶頂期から、奈落の底へと突き落とされたような感覚」を視聴者に分かりやすくするためなのではないか?

平良の高校時代はカースト底辺のぼっちで酷い扱いを受けてたけど、大学時代はサークルにも入り友達もできて、少なくともごく普通の大学生らしい生活を送っている。

どう考えても大学時代の方が楽しいはずなのに、平良にとっては

“順調だけど清居がいない大学時代”よりも、“底辺ぼっちだけど清居がいた高校時代”の方がずっと幸せだった。

清居のことが死ぬほど大好きな平良にとって、清居と2人きりの時間がどれだけ光り輝いていたか。

それが卒業式を最後に終わってしまったことが、どれほど悲しかったか。

そしてその後の東京で平良が清居と再会した瞬間が余計に際立つ。

この“再会した時の胸の高鳴り”を視聴者に分かりやすく演出するためにも、平良には原作よりももう少し美味しい思いをしなくてはいけない。

そのためには原作の平良のままじゃダメで、原作よりも図々しいキャラ設定にしたのだと思う。

 

 

まとめ

おそらく原作ファンでドラマ第2話水掛けシーンに違和感を抱いた方も多いだろうと思って考察してみたけど

原作ファン・原作を知らないBLファン・原作もBLも知らない層、みんなが受け入れやすいように

ドラマ版はジメジメ部分を減らして、その代わりに青春のキラキラ部分を増やした

というのが私の考えです。

まぁ考察というほどの考察ではないのですが、地上波で放送されたドラマなんだから、ホスピタリティを意識しないわけないと思うし

この考えもあながち間違いではないんじゃないかなぁって思います。

ドラマ版の平良は、原作版よりも図々しいところが多く、

ある意味、原作以上の“無意識な王様”感がありますね。

私はどちらの平良も人間臭くて大好きです。

次回は「美しい彼」原作とドラマの違い考察-清居編-です!

 

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